前の仕事を離れた時に夏休みのつもりでいたけど。2ヶ月が経とうとしている。幸い生活は心配ないんだけどちょっと飽きてきた。SNSで保存している誰かの投稿に”漁師は漁に出られない時期に網を編む。自分も弱っている時期にこの言葉で救われた”がある。いまこの言葉の意味を実感している。

県外で欠員が出そうな現場があると会社から連絡が来たが、引越しはしたくないので断った。何故かその後動揺してしまった。

若い頃はどこにでも住むしどこでも行くというスタンスだったのに。今になって「この家にいる時が一番楽しい。地元も嫌いじゃない」と変わってしまった自分に不意に気づいたからだ。

変化の理由は関わった人が増えてしまったからだろう。10年前に名古屋にいた頃は人にも土地にも未練を持たないようにしていたつもりだった。いまになってみると他者との関わりを拒絶していただけで、未練を持たないということが出来ていたわけではなかった。

10年同じ場所で過ごしたのは一緒なのに、人と関わったかどうかでこうまで自分が変わるのか。もし以前と同じように過ごそうとしても、実家が近いためにまだ健在の家族は半強制的に関わらざるを得ない。どうしたって変質するのは避けられなかった。

そんなに悪い気はしないんだけど。

空き店舗は沢山あるが、新しく商売をするには賃料が高すぎることが多い。条件の良い物件は誰かがずっと借りている。場所もそれほど良くない。というか車で移動する土地柄なので路面店は駐車場必須。学生は客にならない。

まちづくりの専門家が「関わった商店街にすぐ土地を買おうとするおじいさんがいて困った」と言っていた。このおじいさんはまちづくりのために土地を買って建物を建てようとするらしい。専門家はあまりお金をかけず新しい箱物を作らない方針なので毎回止めるのが大変だったと笑っていた。

そういえば僕がお店を始めようとした時に実家から「土地を買うの?」と言われた。建物はこれが面白いよと言われて実際に住宅展示場まで見に行ったっけ。雑貨屋なので間口の狭い小さな建物で良かったから、これは全く的外れでなアドバイスではあったんだけど。徳島県でちょうどいいテナント物件を探すより自分で建てた方が良かった可能性はある。

まちづくり専門家の木下斉が講演で「(関わってる商店街に)放っておくと勝手に土地買っちゃうおじいちゃんがいるので困ってるんですよ」と冗談混じりで話していた。自分が開業するときに僕の親からも土地買ってそこに建てたらどうかと言われたっけ。そこまでしたら失敗した時に大変なので、考え方がだいぶ違うんだと思ったんだけど。

後になって考えたら、閉業しても建物と土地が残るならそれでも良かったかもしれない。徳島だと空き店舗が少ない上に、貸主も無理に貸したくない場合が多いので条件も悪い。自分で建てた方が良かったと言っていて、移転時に土地購入して自前の店舗を建てた商店主も知っている。これも地方ならではかな。

たぶん初めて夜に高松の商店街を歩いた。

映画の時間までの暇つぶしに本屋に寄ったら柴田元幸さんが来てて本の朗読会やってた。お腹が空いたので近くのスーパーで2割引の巻き寿司を買って食べた。

映画が終わったら22時を回ってたけど制服を着た学生が本を開いたまま歩いていて。ワイシャツ姿の二人組が並んで家の話なんかしている。

路地裏に入ったら野良猫の親子が驚いてゴミバケツをひっくり返して逃げたので元に戻しておいた。

全て歩いて行ける範囲の出来事だと思うと切なくなった。。3年前までこの近くに仕事で住んでいたのに、家からほとんど出ない生活をしていたのだ。とても悔やまれる。

🍿 Asteroid City (2023)

退屈せずに最後まで観られるんだけど終わってみたら何も残っていないというか。舞台演劇みたいなものを映画でやりたかったんだろうか?

すごく有名な俳優が大勢出演してるけど、その役は他の俳優では駄目だったのかなとも思った。

Asteroid City poster

『アリスとテレスのまぼろし工場』に登場人物たちが「気絶ごっこ」と呼ぶ遊びの場面が出てくる。後ろから相手の首を絞めて気絶させるという遊びだ。時が止まってしまった世界という特殊な世界設定で、刺激に鈍くなった子供たちは自然と痛みを求めるようになったとナレーションが入る。やっているのは友達同士で明確な上下関係もない。ここでは友達同士のじゃれ合いにしているが、現実にあったいじめの方法だしその場面はいじめの現場そのものに見えた。時が止まり変化することがない世界でより強い刺激を求めるようになった子供達を現実のいじめと絡めたかったのかもしれない。この部分は映画の本筋とあまり関係がないんだけど。