小説を読んでいたらちょっと気になる行があった。自分でもこういう失敗をしたことがあるからだろうか。

「おまえさんは楽な方法でやろうとした」TKがいった。
「何を楽な方法でやろうとしたというんだ?」

「たくさんの穴をひと息で埋めようとした。サリタがおまえの孤独を癒し、おまえの人生に人を呼び込み、家族になってくれ、未来をもたらす。まあ、そうはならんよ、小僧。しっかり生きたいなら、ひらくしかない。閉じるんじゃなくてな」
「俺は閉じてない」

「まあ、おれぐらいなら騙せるかもしれないが。おまえは、特段の用事がないのにだれかと話をすることはあるのか?人を誘ってビールを飲んだり、スポーツを観にいったりすることは?バー、ビリヤード場、教会、球場、そんな一人きりでないところへ?どうなんだ」
「さあ、たまには」

「たまに?嘘こけ、小僧。ばかにするなら相手を選べ」TKがいった。「ならどこへ行くにも、何でそのくされ犬を連れていく?人が近寄らないから。それが理由だろ。ピットブルを連れてりゃ、愛想よく見えるとでも思っとるのか?」
「おれの犬だから」アイゼイアはいい、肩をすくめた。
(IQ2 p429-p430)

他人と交流するときにいつも理由を考えている。用がない相手とは喋ることはしない。逆にこちらが用もないのに話しかけるときは、その相手に人生を変えてくれるインパクトをもとめていることがある。身勝手なものだ。

前の職場の先輩は一人ではどこにも行けないという人だった。映画館も遊園地も一人で行けない。だからいつも誰かを誘う。僕も彼に誘われて一緒に富士山に登った。こういう人だからいつでも周りに人がいる。

逆になんでも一人でやってしまう先輩もいた。仕事も遊びもそうだったらしい。彼に「俺たちみたいなのは、1人で遊ぶのが上手だろ。だからずっと1人きりなのかもな」と言われたことがある。たしかに、ぼくは用がなければ1ヶ月でも人と話さないことがあるから反論はない。

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Youhei Takeguchi @takezin