Category: Microposts
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仕事で毎週県外に出張してるんだけど。そこで会う人たちのノリが徳島県とはだいぶ違う。なんというか積極的に関わってくるというか。愛知県にいたときもそんな感じだったかな。 普段は意識してないけど。徳島県で仕事についているときは職場の人と互いに深くは関わり合いにならないようにしていた気がする。なんというか一定以上は踏み込まないというか。その無関心さは僕には心地よいものではあるんだけど。積極的にこちらと関わりたいという人に接するのも悪くはないなと思った。
徳島県ではと書いたが、自分の職場がそうだっただけかもしれないし。 他者に無関心というわけでもなく、一定の距離を踏み越えると急速に接近してくる人もいる。
最近は営業マンとしての自覚が芽生えつつある。質問型営業と営業台本作成を軸にやっていくつもり。台本作りは苦戦してたんだけど、Apple Booksのライブラリを見たらぴったりの本を過去に購入していた。たぶん1回以上は読んでるはずだけど、全く覚えてなかったな。読んでみたらまさに今の自分に必要な内容だった。ビジネス用の本は必要な時期に読む方が効果があるんだな。
休みだったから1日家で過ごした。昨日まで出張だったから服を洗濯して荷物も片付けた。 昼間は明るい部屋でタブレットでコミックを読んで過ごした。 何かをしなければという急かされるような気持ちが湧いてこなかったわけではないけど。 それはほとんど無視できるようなものだった。 たぶんけっこう充実していると思う。
生活に余白があることは大事だと思う。 いま自分の部屋には使っていない家具が多い。ほとんどは10年前に買ったカリモク60だ。それまで家具にこだわる余裕がなかったので、生活に多少のゆとりが持てるようになった時にお金を貯めて少しずつ揃えていった。一つ買うごとに満足感はあったけど、結果として一人暮らしの住まいには不要な数になってしまった。 同じように洋服も着ていないものがたくさんある。
もうこの部屋にも僕の人生にもこれ以上ものは入らないという気がしている。ちょっと前まで新しく部屋を借りることもを真剣に考えていた。高松市にアパートを借りてそこと徳島の二拠点生活を送るとか想像すると心が躍った。 でも冷静になると金銭面や仕事の面で現実的ではなかったし。自分が求めているのは新しく物を置ける場所であればいいんじゃないかと思えてきた。それなら倉庫を借りたらいいだけだ。
もっと考えたら、その前に余分な物を処分するだけでもいいと気づいた。着なくなった洋服と使われていない家具とに囲まれて歳をとっていくのも嫌だった。 要らない物は適切な方法で処分して部屋の中に空きスペースを作っていくことにする。
彼らを見てたら自分も若い頃にもっと色んなところに行って働いたり遊んだりしてたら良かったと思った。自分の人生はこうでなければならないと思い込んでて、必死に人からよく思われるような仕事ばかりを探していた。他人から見られているような過剰な自意識が消えてきたのはごく最近だったりする。
毎週仕事で新居浜市に行っているんだけど。泊まる場所が事務所の空き部屋に布団敷いて寝るだけ。たまに他の現場の人が居ることもある。50代近くなってこんな期間工みたいな働き方になったんだけど。この前一緒になった若い人たちが元ホストとやたら地頭の良い人で、彼らの話を聞いてるだけで面白かった。
3日間の出張から帰ると次の日は1日自分が使い物にならなくなるとわかってきた。仕事の疲れと長距離運転の両方だろう。宿泊先がホテルではなく事務所の空き部屋というのも問題あるのかもしれない。期間限定の仕事でなかったら耐えられない。
ただ上の理由とは別に加齢で体力が落ちているのも事実なので。ジムに通って筋トレをするべきなのかもしれない。
自分はフリーランスではなくて、ただの自営業者扱いの立場の弱い労働者なのだが。たった一つの矜持として仕事を選べる権利があると思っている。自由とは呼べないかもしれないが。会社員と自営業の中間だと思えなくもない。
高給のバイトでしょって言われたこともあるが。まあそれでいいか。
労働8時間+休憩1時間だと実質職場に居る時間は9時間になる。1日6時間労働くらいがちょうど良いとおもうんだけどなぁ。前にITベンチャーが試験的に6時間労働を導入したらニュースになっていた。前と同じ生産性が確保できるのかというのが記事の主題だったんだけど。そこまで大袈裟な話なんだろうか?
あの商店街だって、路地裏の洒落た雑貨屋は去年閉店したし。最近空き店舗を潰してタワーマンションが建った。路地裏も飲み屋ばかりで面白そうな小売店も少ない。 遊び場のない若者のために北浜アリーを作ったと聞いたことがあるので。20代くらいの若い人にはそんなに楽しい街でもないのかもしれないな。
僕のいる業界は常に人手不足で、でも地域によって偏ってるので、徳島だと空きがなくて仕事がない。住む場所にこだわらなければ引っ越した先で何かしら仕事はあるんだけど。そう考えたらいつでも高松の商店街の路地裏に引っ越したっていいんだ。それをしないのは、僕にとって今の住処が大事だということでもある。
高松の商店街に行くたびに路地裏の小さなアパートでも借りてみようかと思うんだ。映画館と小さな本屋がすぐ近くにあって、ちょっと足を伸ばせばシネコンもある。好きなラーメン屋さんも2軒あるし。高速道路の乗り口だってそんなに遠くないから、本州にだってすぐ行けちゃう。
家具動かして掃除もしていつでも良い音楽が聴けるようにして、家の中を快適にしたのにずっといられない。こうなったら、家を買うとかしかないのか?それとも映画館のすぐ近くに引っ越して、毎日映画館にいる方が僕は幸せかもしれない。
自分は事務的にはインボイス制度への対応はたぶんできる。でもこれから消費税を払うとなると収入的には相当厳しい。収入が300万円なら30万円払わないといけない。委託元が負担してくれたらいいんだけど。中小零細では相当な負担になるから期待はできない。正社員はほとんどいなくて大半が契約社員という業界で、最近は個人事業主も増えているという業界なので、今後しばらくはどうなるのかわからない。
『星くずの片隅で』。いい映画なんだけど、主人公の前に現れるのが若くて美しいシングルマザーではなかったらどうなっただろう。劇中では美しいことよりも素行の悪さを反省して懸命に働くところに主人公が惹かれていく描写はあるのだけど。演じたのが香港のトップモデルだったこともあって、どうしてもルッキズムの影響を考えてしまう。
たぶんどこの国でも起こっている出来事を穏やかに激しく怒鳴ったりするのではなく物語に落とし込んでいる。粗い部分や不必要に思えるシーンもあるんだけど。ずっと観ていたくなる映画だった。
🍿 Where the Crawdads Sing (2022)
人権を扱った話であるのは間違いないが。人の善悪の及ばない場所の話でもあった。観終わってから寝るつもりだったのに、事件を人と自然どちらの面から見るかで見え方が大きく変わると気づいて眠れなくなった。
推理ものが好きなので観たら大当たり。自分が上品で洒落たコメディが好きなことを発見した。
この作品のことを知らなかったのでいま調べたら、劇場公開じゃなくて配信だったんだな。もったいないなあ。面白いのに。
おそらくあと30年くらいで僕は働けなくなると思うんだが。その時にどうやって日々を過ごすのか?と考えた。街に出るとすることもなく徘徊している老人を見かける。職場の小売店にも毎日スーツでお弁当持ってきて休憩スペースで食べている人がいた。
小説はいいかもしれない。映画館に行くのもいいけど(実際に平日は高齢者が多い)。小説の方がちょっとゆったりしているからちょうどいいかもしれない。