ふいに気づいたけど。僕の今いる業界では契約社員で圧倒的多数で正社員はほぼいない。 いるにはいるんだろうけど、デスクワークなのか現場にはいない。 昔からそうだった。派遣社員か契約社員だけで現場を回している。 現場にいる管理職も契約社員だ。 長く務めている人は無期雇用の契約社員になっていると思われるが。実際はわからない。 皆、自分の雇用形態を話したりしないからだ。 他者の優秀な若手スタッフが現場担当から営業担当に昇格する時に、初めて正社員になると聞いて驚いた。 あんなに優秀なのにと驚いたんだが、彼は中途入社だったから契約社員だったとだいぶ後で気づいた。

ここまで徹底して正社員がいないということは。 ものすごく優秀で運よく正社員に昇格できた人は現場を去っていくんだろう。 僕はほとんど会ったことがないけど。そういう理由しか思いつかない。

エアコン止めてベッドで横になってたらそのまま眠った。 荷物が届いて目が覚めたけど、もう一度横になって眠りにつこうとするけど、時々自分の寝息で目が覚めそうになった。実家で子猫を育ててる時に何度か見た光景だな、猫でも明るい内は眠りが浅いんだなとか考えながら二度寝した。 2回目は少し室温が上がっていたのでエアコンをつけて寝たけど。思ったより稼働音が大きかった。 最近は夜もエアコンを動かしているけど、止めておいた方がよく眠れるかもしれないなと思った。

Twitterライクな新サービスが必要なわけではないんだなとあらためて思った。 それならまだTwitterは存在しているわけだし。ただ使いにくいだけだ。 個人的にTwitterは失業して失意に苛まれている時にTLを見て気を紛らわせていたおかげで、死なずに済んだという体験がある。一言つぶやけば似たような境遇の誰かが反応してくれるし。ちょっと周りを見渡したら同じように悩んでいる人が観察できた。 この苦しみは自分の人生にだけ起こってることではないんだなと当たり前のことに気づいて、立ち直ることができた。 わりと最近だけど内田樹さんはTwitterを「共苦のメディア」と評していて、なるほどその通りだと思ったっけ。

spoutible というSNSに軽いノリで登録してみた。 登録自体は簡単だったけど、投稿する際に電話番号で認証を求められる仕様だった。 どうも危ない気がしたし、やりにくいので削除した。

友人からも何もする気が起きないとショートメッセージが届いた。他の人もそうなのか。

仕事がない日は何もすることがないというのは問題だな。 外は暑いし。夏季休暇で娯楽施設はどこも混んでるだろうし。 食べたり飲んだりするしか楽しみがない。

水羊羹だと思ってたけど。果物ゼリーでした。

x.com にアクセスするとTwitterに飛ぶのね。びっくりした。

晩ご飯。餃子焼き始めてからタレがないことに気づいて、YouTubeで動画見ながら作ってたら、少し餃子が冷めてしまったけど餃子は冷凍。 本来もっとサイズの大きな餃子用のタレなのと、羽付き餃子に上からかけるタレだとパリパリ感が損なわれてしまったのがミスかな。

だいぶ前だけど某匿名掲示板で大きな改変があった時にTwitterに移行した人が多くいて。その後から急速に雰囲気が変わったように記憶している。それまでTwitterでは少なかったネットスラングが入ったTweetがRTされて目にするようになった。SNSそのものを「村」と呼んだり、自分達利用者を「民」と呼称したりする別文化が持ち込まれたと感じた。その時はまさか彼らがそのまま定着するとは思わなかったし。Twitteが昔からそうであったかのように語られることになるとも思ってなかった。

今でも自分達を村民のように捉えようとする感覚は理解し難い。 短文SNSって新しい文化になる思っていたし。 海外の人が同じTLにいるようなWebサービスで世界が広がった気がしていたんだけど。 なんでわざわざ小さな村にしようとするんだろうかと疑問だった。 矮小化して自分が理解できる範疇に留めたいという欲求なんだろうか。