お昼ご飯。お腹空くまで待ちながらテレビの位置を変えたりしてたら倒れそうになった。マクドナルドで朝食をすませるとたいていこうなる。あれは一時的にお腹がふくれるだけなんだな。
そういう想像をする人がいないというわけではない。僕自よくそうなったらどうするのかを考えていたように記憶している。初めて入る建物で長時間過ごす時には、先に非常口を確認してから部屋に入るようなこともしていた。死ぬのが怖いから死を常に隣に置いている状態といえる。
喧嘩が好きな人から聞いたのは、電車に乗ったら目の前の相手をどう倒すかを考えるらしい。狂気が日常になっているとはこういうことだろうか。あとその狂気の度合いは人によって違う。車内で塩酸を撒かれて刃物を振り回す人がいたとしたらどうするか、常に考えながら電車に乗る人は少ないだろう。
若い頃は死んで無になるのが怖くて、死なないように生きていた。山にも水辺にも近づかないようにしていたし。駅のホームは後ろの方に立つようにしていた。人混みの中を歩くときも周囲に危険がないか確認しながら歩いたし利き手はいつもあけておいた。これもある意味で狂気だったのかもしれない。
宅配ボックスに届いているはずの荷物と、郵便局預かりになってる書留を受け取ってから帰ってくるつもりだったのに忘れていた。疲れた。ううう。
スーパーで食材を買って帰ってきたら、そのままぐったり疲れて動けなくなってしまった。気力体力は十分で健康状態も悪くないと思うので、それだけよく働いということなのか。昨晩はへんな時間に起きてしまってちょっとだけ寝不足だったからそれもりゆうかもしれないけど。
夕方、ふと思いついて本棚を動かしてみた。前は書庫みたいな部屋をひとつ作っていたんだけど、いつでも手軽に本を手に取れるようにリビングに移動した。適当に並べたからすでに読んだ本とまるっきり手をつけてない本が並んじゃってるけど。まあいいや。寒くなってきたから本を読んですごそう。
Twitterのタイムラインに子猫の動画が流れてくるたびに前に逃した子猫のことを思い出してる。猫の発情期のサイクル的にこの時期迷ってくる子猫ってだいたい同じ時期に生まれてるから、どの動画の猫も僕の見つけた子猫と同じくらいの大きさなんだよな。